シロイルカバブルリング

映画のレビュー

『デルス・ウザーラ』

言わずと知れた黒澤巨匠の映画です。

うつ病克服後、高齢で撮った映画で、黒澤監督の達観を知れるのか、という気持ちで改めて見た。
(昔、見たけど私にはこれはまだ早い、と感じて最後まで見なかったやつだから、これ観るのは気合い入りました)。

すごい、壮大なテーマ。
当時、アメリカとかではあまり評価されなかったと聞くけど、それも分かる気がしながら、でも、やっぱりすごいテーマであることは間違いない。
これこそ、あと何十年先になってまた思い出され再評価されるような映画なんじゃないかと思った。
自分なりの解釈だと、人間の進化と退化は隣り合わせで、世の中が便利になるからといって人間そのものの能力がどんどん高まっていっているという訳じゃない、ということをいっていると思う。
医学の進化で長生きできるようになったかもしれない、インターネットの普及で昔より頭が良い子が育つようになったかもしれない。でも、反面、ゲームやパソコンによって視力が落ちている、自然を知らずに育つ子が増えている。
昔は当たり前に持っていた能力を、今ではバーチャルに用意されたものでしか身に付けられない。数字で評価されても、それは完全なものじゃない。
生きていく上で危険を回避するために学んでいたそれと、知るために用意されて、できなかったからといって死ぬ訳じゃないという環境の中で学んだそれとは根本的に違うよな。

映画では、人への思いやりという側面でも語られていたけど、これも確かにそうだな、と思わせた。
SNSによってネットの匿名性は無くなって、間違ったこと、悪いことをすれば批判を受けるよ、ちゃんとしてなきゃいけないんだよ、ということは浸透していると思う。
協調性は育つかもしれない。
でも一方で、さとり世代といわれる人たちは「枠からはみ出しちゃいけない、人と違うことをすれば自分の居場所が無くなる」という漠然とした恐怖を常に抱えているという。
それって本来の協調性じゃない。

機能がどんどん進化していっても、そういった根本的な部分が置いてけぼりになっていくのは、、どうなのかな。

はじめて見た時は「自分にはまだ早い」と思った訳ですが、むしろ、「これって学校の教材にした方がいいんじゃ?」とすら思った。

そして主人公デルス・ウザーラという人物に、黒澤監督が自分自身を投影していたと感じる。